千手の局(つぼね)伝説(その1)
このお話は、広報あさぎりに連載中の「あさぎり面白ばなし」を再掲載したものです。
あさぎり町深田東、内山地区にある内山観音堂の東に「千手の局(つぼね)」または「千手姫」という女性の墓があると伝えます。しかし、今ではどの墓が彼女の墓なのか特定できませんが、彼女にまつわる伝説を紹介しましょう。
そのむかし、深田村の内山に仙右衛門という農夫がいました。子どもがいなかったので、子どもをさずかりますようにと、本尊の千手観音さまにお願いしたところ、そのご利益があってか女の子をさずかりました。女の子は、育つにつれてそれはとても美しくなり、里人は千手観音さまの申し子として敬い、また彼女をひとめ見ようと遠くからやってくる者も大勢いたといいます。
ある日、近くの向町で阿弥陀堂の落成法要があり、彼女は出かけていきました。しかし、あまりにも見目麗しい女性であったがゆえ、あろうことか薩摩(鹿児島県)から来たきこり(一説に巡礼者)にさらわれてしまい、坊の津(鹿児島県川辺郡坊津町)の遊女屋に売られてしまったのです。
そして、時は過ぎたある日、薩摩の殿さまの島津貴久公が、「一日に和歌百首(一説に千首)を詠む者あらば、側室に迎えよう」と領民に募られたところ、さらわれてしまった遊女ただ一人だけが和歌を詠むことができました。そして、その遊女の美しさと教養の見事さもあって殿さまの側室となることができました。名前は「千手の局」と名乗りました。それから、めでたく殿さまの四男にあたる「島津家久」を出産しました。この「家久」というのが知略武勇で有名な武将となるのです。
一方、内山では、「千手の局」の母が、愛娘がさらわれてから、半ば狂ったように東に西にと彼女をたずね歩いていて、それから、薩摩に入ってからは、殿さまの腰元の女中となって娘をさがしていましたが、三年後の春、殿さまの梅花の宴で母と娘は偶然にも出会うことができたのです。ふたりは、その時抱きあって感涙にむせたと伝えます。
さて、ある時、城内で世継ぎ争いによる若君の家久を殺害する陰謀が起こりましたが、逃げる途中、「きつね」に助けられて、運良く無事にのりこえることができたといいます。
あさぎり面白ばなし3 広報あさぎりNo.31より
(文責:教育委員会社会教育班 北川)
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