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平景清息女の伝説(その2)

更新日:2008年10月8日

平景清息女の供養碑を覆う御堂の写真このお話は、広報あさぎりに連載中の「あさぎり面白ばなし」を再掲載したものです。

前回、あさぎり町岡原北小字切旗にある「平景清息女の墓」にまつわるはなしとして、父景清とむすめの墓碑について紹介しましたが、今回は、「平景清のむすめの伝説」を紹介します。

球磨郡岡原村の切畑に、平家の勇将平景清の息女の墓と伝えられる石碑があります。
寿永四年(1185年)、壇ノ浦で敗れた平氏は、九州の山村に逃れ、五家荘や球磨地方に落ちてきたのでした。平景清も球磨の山奥まで落ちて来ていたのでしょう。

平景清のむすめは、父恋しさの一念で、西国の地に流されていった父景清のあとを追って旅立ちました。そして、はるばると球磨の岡原の地に着いた時、突然真っ黒い怪物が飛びかかってきました。むすめはすごくびっくりし、とっさに道端にあったゴマガラ(植物ゴマの穂)で、その怪物の光る目を突いたのです。よくみると、その正体は黒猫でありました。

その夜、むすめは付近の民家に泊まりました。すると急に目が痛み出し、旅立ちもできず、数日間、その民家に泊まって療養していました。その時、たまたまとおりかかった門付けの歌唄いが、「あゝ景清は白波の、消えてあとなき海の彼方に・・・」と歌うのを聞きました。むすめは、長い年月、父に会いたいばかりに苦しい長旅を重ねたことも無駄となったことを知り、父が別れるときに残した平家の旗を、形見の短刀で切り裂いて自害して果てました。

それ以来、この地を「切旗」と言っていたのが、いつの頃にか「切畑」となったといいます。現在、この地区ではむすめの悲劇を哀れに思って、畑にゴマを作っても地区にはゴマガラを持ち込まず、黒猫も飼わないといわれています。

岡原の地元では、黒猫が飛び出るくだりが少し異なっています。

「景清のむすめが、この岡原に着いたとき、黒猫が飛び出してきました。むすめは驚いた拍子に倒れて、その時干してあったゴマガラで眼をついてしまいました。むすめは、村の人に助けられて家で休ませてもらいましたが、医者に見せてもいっこうに良くなりません。ある日、琵琶弾き(または三味線弾き)が回ってきて、「景清のゆくえは ついに白波の 海の彼方に・・・」
と父景清の死を意味した唄を聞き、あの世で父に会おうとして自害して果てました。」となっています。「切畑」「ゴマガラを持ち込まない」「黒猫は飼わない」というくだりは同じです。

さて、むすめの名前は「人丸姫」といわれていますが、『嬢景清八嶋日記(むすめかげきよやしまにっき) 』では「糸滝」と言う名前が使われています。
              
(参考文献 『肥後の伝説』牛島盛光編著 第一法規)

あさぎり面白ばなし6 あさぎり広報No.34より
(文責:教育委員会社会教育班 北川)

 


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