「歴史・史跡」の記事一覧
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[2008年10月7日] 種田山頭火の書
昭和5年(1930年)、種田山頭火が親交のあった了円寺二世寸鶏頭を訪れた時の書で「れいろうとして 水...
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[2008年10月7日] 免田の茶屋
子どもが9人ありながらせめてもう1人ほしいと貰い子をして育てていた人吉紺屋町の感心な夫婦が藩主頼喬...
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[2008年10月7日] 免田家文書
南北朝時代、延文3年(北朝年:1358年)に書かれた免田家の田畑台帳というべき「免田坪付帳」7枚をはじめ...
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[2008年10月7日] 新深田遺跡(地下式板石積石室墓)
地下式板石積石室墓とよばれる古墳時代前期(5世紀初頭)の墓が9基群集する。天井部の葺石が持ち送り式に...
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[2008年10月7日] 万福寺跡古塔碑群
万福寺は久寿元年(1154年)永吉庄地頭平川師高によって建立。鎌倉時代の弘安年間に円鑁が真言宗寺院とし...
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[2008年10月7日] 中村家文書・鬼塚彦左衛門庄屋萬日記
江戸時代、宝暦14年(1764年)4月から明和9年3月までの9年間、上村庄屋役を命じられた鬼塚彦左衛門の日記...
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[2008年10月7日] 高山の窯跡(布目瓦)
窯跡は、深田地区高山の麓、字前平と椛木(かばのき)の境にあり、前平側には窯の奥壁とアーチ型の側壁の...
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[2008年10月7日] 立岩の史跡
立岩は球磨川に沿って巨岩が立つ形の奇岩で、深田のシンボル。かつての船着場で人吉に向けての船便があ...
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[2008年10月7日] 浜ノ上横穴墓群
須恵地区では唯一の横穴墓。阿蘇溶結凝灰岩の崖面に穿たれた4基のうち2基が完全に近い形で残る。2基は...
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[2008年10月7日] 松野家文書
大分の大名大友宗麟の三男親盛が、大友家没落後に豊前国を治める細川忠興に仕え、松野半齋と称し、代々...
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[2008年10月7日] 皆越家文書
皆越家は、大永6年(1526年)5月、薩摩の北原勢が人吉に攻め寄せた時、これを打破った皆越安芸守貞当の末...
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[2008年10月7日] 平等寺跡古塔群
須恵阿蘇地区の釈迦堂裏に200基を超える古塔群がある。桃山から江戸時代にかけて建立された平等寺の住...
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[2008年10月7日] 深水家文書
元、深水家は吉賀江姓。天正9年(1581年)島津氏の北上によりに水俣城は落城。その時、城代犬童美作に従...
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[2008年10月7日] 平景清息女の墓
お堂の中にある墓碑には「聞伝景清息女之墓此所也」と刻み、江戸時代、この村の庄屋が平景清の娘のため...
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[2008年10月7日] 今村薬師堂の鰐口
(おことわり)「□」の表記は判別不能な文字となっていますのでご了承ください。鳴物の祭器。今村薬師堂...
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[2008年10月7日] 本目遺跡
弥生時代後期から古墳時代前期(1世紀〜4世紀)にかけての遺跡。出土土器は「免田式土器」と呼ばれ有名。...
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