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[2008年10月7日] 谷水薬師
日本七薬師の一つ。御開帳は春秋彼岸の中日と土用丑の日に限られ参拝者は多い。もと谷水山東圓寺の金堂...
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[2008年10月7日] 湖洲鏡
中国浙江省の湖州で作られた鏡。中国宋時代、我が国では平安時代後期から鎌倉時代にかけて渡来したもの...
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[2008年10月7日] 那須家文書・教令写
江戸時代、幕府の巡見使が来訪して、質問に応答できるようにあらかじめ藩から示された解答書。天保14...
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[2008年10月7日] 青木家文書・御法度之箇條覚他
全198点が知られる文書。青木鹿三(元免田町長)が収集したもので、そのほとんどは和紙・和綴である。江...
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[2008年10月7日] 塚の脇虎踊り
虎退治の踊りである。虎、旗持ち、太鼓、六部、武士、唐団扇、太刀持ち、槍持ち、棒持ち、商人の役があ...
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[2008年10月7日] 梵字不動明王の種子・カーンマーン
縦121センチメートル、横44センチメートルの掛軸で、不動明王を表す梵字カーンマーンと発音する梵字の...
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[2008年10月7日] 種田山頭火の書
昭和5年(1930年)、種田山頭火が親交のあった了円寺二世寸鶏頭を訪れた時の書で「れいろうとして 水...
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[2008年10月7日] 狩所
昔、相良藩主の狩猟の時に狩人達の勢揃いをした所と伝える。江戸時代の記録には、狩所の高台に仮の祭壇...
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[2008年10月7日] 免田の茶屋
子どもが9人ありながらせめてもう1人ほしいと貰い子をして育てていた人吉紺屋町の感心な夫婦が藩主頼喬...
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[2008年10月7日] 免田家文書
南北朝時代、延文3年(北朝年:1358年)に書かれた免田家の田畑台帳というべき「免田坪付帳」7枚をはじめ...
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[2008年10月7日] 中村家文書・鬼塚彦左衛門庄屋萬日記
江戸時代、宝暦14年(1764年)4月から明和9年3月までの9年間、上村庄屋役を命じられた鬼塚彦左衛門の日記...
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[2008年10月7日] 松野家文書
大分の大名大友宗麟の三男親盛が、大友家没落後に豊前国を治める細川忠興に仕え、松野半齋と称し、代々...
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[2008年10月7日] 皆越家文書
皆越家は、大永6年(1526年)5月、薩摩の北原勢が人吉に攻め寄せた時、これを打破った皆越安芸守貞当の末...
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[2008年10月7日] 深水家文書
元、深水家は吉賀江姓。天正9年(1581年)島津氏の北上によりに水俣城は落城。その時、城代犬童美作に従...
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[2008年10月7日] 今村薬師堂の鰐口
(おことわり)「□」の表記は判別不能な文字となっていますのでご了承ください。鳴物の祭器。今村薬師堂...
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[2008年10月7日] 黒革威腹巻練革叩塗兜
兜1点と大袖付きの具足。鑑定では、南北朝時代という。永井家は平安時代末期の武将斎藤実盛の末孫と伝...
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