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免田式土器のこと(その3)

更新日:2008年10月8日

墳丘墓の写真このお話は、広報あさぎりに連載中の「あさぎり面白ばなし」を再掲載したものです。

免田式土器が出土した下乙の本目遺跡(もとめいせき)について少しお話ししましょう。
前々回では、大正7年(1918年)、本目源ヶ屋敷で免田式土器の最初の発見があり、昭和12年にも源ヶ屋敷に近いところからも出土し、乙益重隆氏と高田素次氏が緊急調査し、学会に報告されたことを述べましたが、その後は免田式土器の遺跡調査や研究はなく、遺跡の保護対策もなされないまま、昭和40年代には、源ヶ屋敷を含めた北側一帯の水田圃場整備が行なわれ、そのとき大量の土器が出土したそうですが、残念ながら遺跡調査のないまま壊されてしまったのでした。

旧免田町は、平成2年(1990年)から「クマソ復権」を提唱され、遺跡や遺物に関心の高まりを受けて、同町教育委員会では、平成6年2月に免田町遺跡調査会を結成し、会長には、当時の教育長、調査担当は、関西外国語大学助教授の佐古和枝氏を、顧問には考古学の権威である同志社大学教授の森浩一氏を迎えて本目遺跡の発掘調査が始められました。

調査にあたった佐古氏は、本目遺跡は免田式土器が標識遺跡(重弧文長頚壷のみが免田式土器というのではなく、それと一緒に出土する形が違う土器も免田式土器としてとらえること)として確立されていないことが課題であるために、遺跡の実体を探るべく第1次調査(平成6年3月)、第2次調査(同年7月)を行いました。短期間の調査でありましたが、その目的は遺跡に遺構がどのように分布しているのか、その範囲の確認調査でした。その結果として、弥生時代後期から古墳時代初頭にかけて、ただ土を掘って埋めただけのお墓(土壙墓)と、木製の棺桶を埋めたお墓(木棺墓)の検出があり、それは免田式土器をお供えしていたこと、土器には日向(宮崎県)、吉備地方(岡山県)と類似するものが出土したこと、さらに2つの墓からは鉄鏃が出土したことでした。同年さらに発掘調査は続きました。本目地区内で宅地造成工事に伴いその宅地の発掘調査となり、第3次調査(平成6年12月)、第4次調査(平成7年2月)、第5次調査(平成7年7月)が実施されました。

その時の発掘調査箇所は5ヶ所で、そのわずかの調査面積にかなりの密度で遺構と遺物が検出されました。遺構は熊本県内では初の弥生時代の墳丘墓1基がみつかったほか、土壙墓25基、木棺墓8基、遺物では、墳丘墓近くの土壙墓から方格規矩鏡(ほうかくきくきょう)を割り磨いてペンダント用として穴を開けたもの(破鏡)や管玉・ガラス玉の首飾りが出土し、その破鏡は県南では始めての発見でした。古墳時代の遺構として、大小2基の地下式板石積石室墓が並んで検出され、内部に鉄剣1本と鉄鏃12本が副葬されていました。これらの調査をとおして、本目遺跡の墓域の形成・構成・墓にともなう祭祀のあり方、免田式土器と墓との関係、当地の弥生後期の土器様相について貴重な情報を得ることができたのでした。
 


本目遺跡看板の写真免田式土器がかかえる問題点がいくつかあります。それは、「免田式」と様式名称がつけられたため、様式論として研究者間で認識が異なり混乱していることです。つまり、考古学でいう様式とは、同じ時期・ある同じ地域の土器などの遺物群は、同じ技術体系の中にふくまれ、それらが緊密な連関をもちながら全体を形作り、有機的なつながりがあったものとされるので、器形の形式を越えた同時期の型式群の総称単位として用いる概念を唱えており、まあ簡単にいえば、「免田式」と呼ぶには、いま考古学も進んだこの時代では、情報、調査、研究が不足しているということです。

では、どうしたらこの様式論が解決するのでしょうか。本目遺跡の墓域の調査は、これまでの調査で情報を得ることができていますが、今ひとつ必要なものとして、弥生人が生活していた居住区の発掘調査が必要です。それがどこにあるのか、地道な調査を行わねばなりません。そして、居住区の遺構遺物の検出により、当時の人々が使用した免田式土器と免田式土器以外の土器についても型式的にあきらかにし、弥生時代から古墳時代初頭までどのような土器編年(形の流行変化)を本目遺跡はもつのか、また、同時期の他の様式土器との並行をあきらかにする必要があります。このことで、本目遺跡が真に「免田式土器」と呼ばれる指標遺跡として確立することにつながるのです。
様式指標問題のほかにも、まだまだ謎がいっぱいです。祖形となった土器は何から始まったか? 文様には、なぜ重弧文が施されたのか? 文様にも多種多様があり、それはなぜか? 器形の形態も変化が見られるがそれはなぜか? 出土するところの分布とその出土した理由は? 作ったところはどこか? 枚挙にいとまがありません。文化財がもつあらゆる謎の解明にはロマンがありますが、球磨郡内の市町村で、文化財を研究する多くの若手の出現が期待されます。
(おわり)

あさぎり面白ばなし15 あさぎり広報No.43 
文責 あさぎり町教育委員会 北川賢次郎

 


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あさぎり町役場 教育委員会
電話番号:0966-45-7226この記事に関するお問い合わせ