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地蔵出し踊りの由来

更新日:2018年5月11日

このお話は、広報あさぎりに連載中の「あさぎり面白ばなし」を再掲載したものです。

あさぎり町や近隣の町村では、結婚式の披露宴で奇妙な踊りの出し物がありますがご存知でしょうか。みなさんも一度となく目にしているあの「地蔵出し踊り」です。今回はこの踊りの由来についてお話ししましょう。

この踊りは、「お地蔵さま」を担いだ7〜8名の一行が行列を作ってユーモラスな動きで踊りながら披露宴の座を回るものです。その行列の先頭は、村の村長に仮装したもので、二番目と三番目がお地蔵さまを担ぎ、その次は、花婿、花嫁に仮装し、その次はそれぞれ仮装(面をする者や助役・教育長役などあり、時代によって変化)して、手箕(てみ)、一升枡(いっしょうます)、行灯(あんどん)を持ち、蒸篭(せいろ)を背負い、手箕持ちは、「みーしゃっさい、みーしゃっしゃい」と唱えながら、アメや餅を配りながらにぎやかに披露宴の座を回り、その後、お地蔵さまは、新郎新婦の前にご鎮座してみんなと一緒に祝うのです。

ことの由来は、あさぎり町深田西の鷺巣(さぎす)地区にあった「岩屋銅山」に関わる話になります。この銅山は、江戸時代の半ばに発見されて開かれたといい、明治時代の後期から大正時代にかけては、「岩屋銅山」と呼ばれ、銅の生産量はかなり高くて、全国的にいっても横綱のランクにあり、「西の岩屋、東の芦屋(あしや)」と称えられていました。銅山で働く工夫は、当時、深田村の人たちとの交流が当初にはなかったということで、当然、結婚式にも案内がありませんでした。式ではおいしい酒肴があり、工夫たちは当然ながら何とか参加したい気持ちでいたことでしょう。ある時、村の下里地区で結婚式が行われるというので、工夫たちは、地区に祀られているお地蔵さまを担ぎ出し、にぎやかに余興を催しながらお地蔵さまの座を設けさせたといい、住民たちも地区の安寧のためご鎮座していただいているお地蔵さまなのだから、座を設けることには全く意義は無く、また、にぎやかな余興を催した工夫たちの演出をも楽しんだことから、これが地蔵出し踊りの始まりになったといわれています。

その踊りの始まりに関わった深田の銅山は経営の問題で営業を休止することになります。鉱山の休止に伴って工夫たちはいなくなり、当初、工夫たちの踊りだった地蔵出しが地区の人たちの踊りへと変わり披露されるようになったといいます。そして、いつしか、お地蔵さまは、にぎやかなお祝い事が大好きで、村の結婚式と聞けばのがさずお出かけになるということになり結婚式へと担ぎ出されます。

さて、踊りの最中では、手箕持ちの「みーしゃっさい、みーしゃっしゃい」と唱えるのは、これは、「見て下さい」との意味で、箕(み)を掛けてた駄洒落です。ほかの道具持ちは何も唱えませんが、一升枡(いっしょうます)を持つ者には「いっしょう」、行灯(あんどん)を持つ者には「あんのん」、せいろを持つ者には「せ〜ろ(してよ)」という意味があり、これも、各人が持つ道具が、「見てください、見てください、一生、安心、してください」との意味を持ち、いわゆる工夫の祝い事での洒落からできたものなのです。村長に仮装した者は、座の皆んなに趣旨たる口上を述べ、村長をはじめ姑も嫁も含めてよろしくお願いしますという願いが含まれています。

そして、お地蔵さまは、新郎新婦の前に鎮座し、みんなと供に祝い、お地蔵さまに大いに祝い騒いでいる様を見ていただき、お客は、日頃見守ってくださるお地蔵さまにこの座でお礼をいい感謝をするのです。また、石地蔵のごとく、若き二人がじっくりと腰を落ち着けるようにと祈りを込めているともいわれています。

それから、結婚式が終わると新郎新婦二人でお地蔵さまをもとの場所に返しに行きます。その時に頭巾と胸当てを着せてお供え物を添えますが、これは、丈夫な赤ちゃんが授かるようにとの願いがあり、また、この作業は夫婦が始めて二人で行なう作業であるといいます。披露宴では、地蔵出しが重なることもあり、お地蔵さまが二体合うことは禁忌とされ、片方は生身の人間をお地蔵さまとして仮装したこともありました。

あさぎり面白ばなし11・12 あさぎり広報No.39・40
(文責 あさぎり町教育委員会 社会教育班 北川賢次郎)
※参考資料 『お地蔵様について』坂本哲郎(深田西)

 


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あさぎり町役場 教育委員会
電話番号:0966-45-7226

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