雲羽神社の天狗さま
このお話は、「広報あさぎり」に連載されている「あさぎり面白話」の再掲載です。
今回も、あさぎり町上南の川久保地区の雲羽神社にまつわるはなしを紹介します。
雲羽神社は、今からおよそ650年前の南北朝時代、旧上村の永里地区にあった永里城主永里彦次郎が、永里地区の鎮護のために建てた神社です。その永里氏が亡んだあとも、そこを治めた地頭や永里村の人たちから篤く崇拝されてきました。ご祭神は天孫降臨で知られる「ニニギノミコト」を祀る霧島神社と同じ神さまです。
この雲羽神社の使いというのが、あの鼻が長い「天狗」といわれていて、その雲羽神社周辺の永里を守っているといいます。
雲羽神社の東約500mの位置には「テン」と呼ばれている地名があるといいますが、そこは、秋時と麓との間にあり、言い伝えでは、ここに「天狗さま」が住んでおられるといいます。
そのむかし、雲羽神社の森はうっそうとしていて、参拝者の拍手の音は森にこだまし、「テン」にまで聞こえたそうで、雲羽神社の神主を勤めた浅生靱負(あそうじんぶ)という人の拍手は一種ちがった打ち方だったので、それを聞くと「天狗さま」たちはさっそく雲羽神社の森に集まって来られたと伝えます。
今からおよそ480年前のむかし、人吉の殿様の相良長唯(ながただ)は、永里のお城に逃げ込んだ弟の瑞堅(ずいけん)を討伐するとき、隣村の上村城主の上村頼興(よりおき)に加勢を頼みますが、頼興は、はじめ「天狗さま」の難を恐れて永里攻撃をためらいました。しかし、長男の頼重(よりしげ)を殿様の跡継ぎにすることを約束すると、意を決してまず雲羽神社を焼き、そして永里城を攻撃しました。瑞堅はのがれて近くの金蔵院という寺に入り、寺に火をかけて自決しました。その夜、「テン」の上空には、異様な叫び声をあげながら飛び廻る「天狗さま」の大群がみられたといいます。村人たちは、恐らくは上村氏も50年のうちには亡んでしまうに違いないとうわさし、果たして、その上村氏の一族は、40年後に亡んでしまいました。
あさぎり面白ばなし2 広報あさぎりNo.30より
(文責:教育委員会社会教育班 北川)
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